令和4年5月21日~22日、大河ドラマの舞台、北条義明ゆかりの伊豆を訪ねました。

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Isami Cafe ~ へ

 本日のコーヒーは、「タンザニア エーデルワイス」 です。
 アフリカの名峰 キリマンジャロ近くで産出されています。
 アラビカ種で、品の良い甘味と酸味。豊かな香りを持ち合わせ、日本でも好まれている、美味しいコーヒーです。
 どうぞ、ごゆっくりお過ごし下さい。

大河ドラマ「鎌倉殿と13人」がなかなかの好評で、どれどれと

5月21日~22日、「鎌倉殿の13人」で主人公北条義明ゆかりの伊豆を訪ねました。

三嶋大社本殿

 三嶋大社、伊豆国一宮で古くから関東武士の崇敬厚く、とくに源頼朝は深く信心し、政子と度々参詣していた由。
 境内には、ゆかりの史跡も多く、今日も参拝者で賑わっていました。

 また、剣術一刀流の開祖、伊藤一刀斎が、未だ弥五郎と呼ばれていた永禄年間の初め、伊豆大島よりこの地に渡り、武芸修行中のある夜、大社に侵入した盗賊を打ち払った功により、宮司より名刀を授かり、以来、この刀は「瓶割の刀」とよばれたとの逸話もあります。

江川太郎左衛門英龍

 伊豆韮山 関東代官の江川太郎左衛門英龍邸。江川庄は代々江川家が代官を勤める家柄。
 当代の江川太郎左衛門英龍は、若い頃から、博学多才、行動力もあり、領民からの人望があり、幕府の信任を得て、幕臣となり関東一円の代官として、政治、経済、文化面にも多大な功績を遺しました。

 邸内には、代官時代の記録、資料がしっかりと保存され、また、生活の用品用具も展示され、江戸時代後期の日常の一端をうかがい知る事ができました。

 江川太郎左衛門英龍は武道にも造詣が深く、文政3年(1820年)に剣術神道無念流岡田十松より免許皆伝を許されています。(近藤勇が生まれる10数年前。すごいね!)

 宮川家も安政年間初め、勇の兄、粂蔵の養子縁組の件で、奉行所の代官江川太郎左衛門の調停を受けています。ご縁がありました。

 江川太郎左衛門邸の近くに、歴史的建造物の韮山反射炉があります。我が国の産業革命の第一歩でした。
 この反射炉も、江川太郎左衛門が欧米列強に抗すべく、安政年間初め幕府に国防の必要性を強く働きかけ、安政4年(1857年)に完成しました。 反射炉は、鉄を溶かして大砲を作る溶解炉で、作られた大砲は品川のお台場にも設置されました。

 しかし、諸外国の技術革新は、日進月歩で明治期に入ると製造技術の向上、工場の大型化、大量生産時代に入り、韮山反射炉の役割も減少。
 昭和40年代まで僅かに操業していましたが、やがて溶解炉の火は消えました。

 平成27年(2015年)、日本の産業近代化の象徴として、世界文化遺産として登録されました。

 車で数分の所に、NHK「鎌倉殿の13人」の大河ドラマ館があります。

 館内には、登場人物が着た衣裳、当時の生活の用品用具も展示され、また、複雑な源家、北条家の相関図、年表などもわかりやすく整理され、時代の移り変わりが理解出来ました。
 今回は、館内にスナップ写真スペースも用意され、遊び心が起きました。

 修禅寺、源家・北条家一族の興亡の舞台になった寺院。また、岡本綺堂の「修禅寺物語」でよく知られている寺院です。
 また、鎌倉幕府第二代征夷大将軍源頼家が、源家・北条家・比企家などの権力闘争に巻き込まれ、当寺に幽閉され、元久元年(1204年)7月に北条一族に暗殺されました。享年23歳。早過ぎる一生でした。

 余談ですが、昔、高校の文化祭で「修禅寺物語」を上演され、私も頼家を襲う武士の役で登場しました。何か因縁めいて、懐かしい思い出がよみがえりました。

 名物の美味しいプリンをいただいて、小雨降る天城峠を越え、下田へ。

22日、黒船祭で賑わう下田。先ずは。

 日米修好通商条約ゆかりの下田了仙寺。両国の国旗がひるがえり、境内には1,000株を超えるアメリカジャスミンが、今が盛りと芳香を漂わせています。参拝者には外国の方も多く、日本開国当時の歴史を見入っていました。

ペリーロード

 ペリーロード。ペリー提督一行が上陸後、条約締結のため行進した道。往時、平滑川の両岸は繁華街だったとの事で、今でもその面影を残しており、歴史を見ることが出来ます。

 下田公園。開国記念碑、カーター元大統領の記念碑が建ち日米の絆を感じます。丘から見下ろす下田の街は、開国から動乱へ、揺れ動いた日本の真の歴史を語りかけているように見えました。

 ペリー上陸記念碑。条約締結の為、ペリー提督一行が嘉永7年(1854年)3月18日、下田に上陸。日本は200年以上続いた鎖国を解き、近代化へ踏み出した歴史的な一日になりました。

 幕末、日米修好通商条約交渉を陰から貢献した一人の女性 唐人お吉(本名 斎藤きち)の存在を忘れる事は出来ません。

 下田奉行の斡旋で、ハリスの看護人となり、献身的に尽くしましたが、後年は世間から好奇な目で見られ、つらく、悲しい日々を送り、48歳で自ら命を絶ちました。
 唐人お吉(本名 斎藤きち)の名を忘れて、幕末史を語ることは出来ません。

午後からは、石廊崎を廻って西伊豆ジオパークへ。

 資料によると、伊豆半島ははるか南の海で生まれ、火山活動を繰り返しながら北上し、やがて本州と衝突、隆起し、或いは海に浸食されながら今日の姿になった由。
 紺碧の海にそそり立つ断崖絶壁の島々、奇っ怪な形の島々など、この美しい眺めを見ていて、伊豆半島の生い立ちに思いを馳せ、感嘆しました。何億年先の伊豆半島は? 見てみたい!西伊豆ジオパーク。

 帰りは、伊豆中央道から東名、御殿場ICが事故で大渋滞。一般道の246号へ。これがまた大大大渋滞、夜中に常陸国牛久藩の我が家に無事帰宅しました。 急ぎ旅、疲れ旅でしたが、歴史と地学、楽しく勉強出来た一泊二日の伊豆旅行。

 思えば、これも「鎌倉殿の13人」のお陰。有り難う御座いました。

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