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本日のコーヒーは、「エクアドル ガラパゴス」です。
ガラパゴス島にブルボン種のコーヒーが持ち込まれたのは、
100年以上の昔、フランスの探検家でした。
この島は世界遺産ですので、一切の化学肥料、農薬は禁止
されています。上質な酸味とマイルドさが人気で、やや
深煎りしたコーヒーがおすすめ。一度お試し下さい。
どうぞ、ごゆっくり。
11月23日、秋晴れで霞ヶ浦を吹く心地よい風を受けて、かすみがうら市歴史博物館にて、開催されています「御陵衛士 伊東甲子太郎の顕彰活動」展を観てきました。
長じて、水戸学を学び、江戸に出て本所深川で北辰一刀流を修め、道場を任せられ、結婚して伊東姓に。
元治元年(1864年)、近藤勇、藤堂平助に誘われ、一門を率いて新選組に入隊しました。水戸学による勤王思想が強く、やがて近藤達とも対立し新選組を離脱し、後、御陵衛士となりました。
慶応3年(1867年)秋、京都 油の小路で新選組と争いになり、落命。享年32才(数え年33才)。坂本龍馬暗殺の3日後です。水戸に在って将来を嘱望された人材でした。
また、同郷で本堂家家臣の江川七郎も新選組に入隊しています。(入隊時期は不明) 資料の「箱館戦争東軍人名録」によれば、箱館では新選組2分隊に所属し、最後まで幕臣として新政府軍と戦い、活躍し、新しい國ずくりの為、志を貫いたとあります。
ここ常陸国の幕末期、芹沢鴨、平間重助、伊東甲子太郎、鈴木三樹三郎、江川七郎など、多くの「志」ある人物が新選組と関わっています。
今、私も常陸国牛久藩に居住しているのもご縁でしょう。有り難い事です。
帰り道の車窓から、晩秋の霞ヶ浦を右に、正面に筑波山を眺めながら、伊東甲子太郎もこの同じ景色をみながら水戸へ、江戸へと國を想い、忙しげに行き来していたのでしょう。何か懐かしい想いです。
本日は、あらためて、新選組参謀 伊東甲子太郎の人物の大きさに触れ、勉強させていただきました。
かすみがうら市歴史博物館のスタッフの皆様に心から御礼申し上げます。誠に有り難う御座いました。
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