令和2年4月25日、近藤勇の152回目の命日でした。

 いらっしゃいませ!   ようこそ!

  ~ Isami Cafe ~   

 本日のコーヒーは、ブラジル サクラ ブルボンです。

完熟ブルボン粒は、柑橘系のさわやかさ際立った甘さと
 香りのバランスの良さを感じられ、さくらのような華や
 かさで、フレッシュな香りをお楽しみ下さい。

       ごゆっくりお過ごし下さい。

 4月25日は、近藤勇の152回目の命日でした。

 近藤勇は、慶応4年(1868年)4月25日 九つ時(今の正午頃)、板橋の刑場で大義を全うし、生涯を閉じました。享年35才。

 甥の宮川勇五郎は、この日、所用でご府内牛込へ出かけました。今日は板橋で旗本が斬られるとの噂を聞き、気になり、板橋の刑場へ回り近藤勇の処刑を目撃しました。

 勇五郎は、大正14年(1925)4月29日の読売新聞に、この時の様子を語っております。何分もう60年も前のことですし、自身も70才を超えており、記憶違いもあるかと思いますが、次の様です。

「この日は、前夜の雨も上がり、よく晴れていましたが、とても暑く、袷一枚でも汗がにじみ出るほどでした。噂を聞き、まさかと祈りながら刑場で待っていましたら、昼近く30人位の鉄砲隊に囲まれた山駕篭に、勇叔父さんが乗っていました。叔父さんは、口を結び、目が合うと微かにうなずき落ち着いて見えました。身体は荒縄で亀甲状に縛られ、両手は前にたらし、足は素足でした。

 刑場に着くと、荒縄は解かれました。叔父さんは床屋に髭を剃ってもらい、江戸城へ向かい一礼し、何事かつぶやいてから、粗むしろに正座し、左右の人に会釈し、「永らくお世話に相成った、よろしくお願い申す」と言い首を伸ばすと、小者が襟を広げたり、引っ張ったりと世話をやき、終わると太刀取りの42,3才の背の高い武士が叔父さんの側に立ち、一礼し、刀光一閃、空に流れ、首は前に落ちました。

 
 丁度、只今のお昼12頃、その時分の九つ時で、陽がガンガン照りつけ、黒山の人が集まっていましたが、一瞬、何も聞こえず、とても静かだったのを覚えています。 やがて、涙がこみ上げ、止まりませんでした。直ぐに本家に知らせなければと、駆け出しました。」 と。

 今春は、コロナウィルス感染防止の為、外出自粛の要請で流山 長流寺、板橋 壽徳寺の近藤勇供養祭は中止され、会津 天寧寺の墓前祭には、ご案内をいただきながら、参加出来ず、寂しさも感じました。

 手入れも行届かない我が家の庭ですが、今年も牡丹が近藤を弔うように3輪も咲いてくれました。つられたのでしょうか、近くには薄紫色の「都忘れ」、釣り鐘草の一種「シラー」。そして宮川家の築山にも咲いていたと言う「スズラン」などの花々が咲き競い、蜜を求めて虫たちが忙しげに飛んで来ます。まるで近藤や新選組隊士達が故郷に帰って来たかのように。

ふと、もっと、ゆっくり遊んで行けばいいのにと、声をかけたい気持になりました。

毎年、巡ってくる勇の命日近くに咲いてくれる花々を、これからも大事に育ててまいります。花咲爺さんになって。

 明治時代の幕末史観も150年過ぎて、ようやく真実が語られ始め、大きく変わりつつあります。私達も、もう一度幕末を、戊辰の役を振り返り、しっかりと学び、大義の為に戦い、散っていった隊士達の名誉を語り続けてまいります。 子々孫々、未来永劫。

それが残された子孫の務めだと思っています。

 どうか宜しく、ご指導、ご鞭撻の程、お願い申し上げます。   

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