第22回 戊辰の役 東軍殉難者慰霊祭にて天然理心流を供養演武しました。

 10月4日 京都・淀の妙教寺にて執り行われました、第22回 戊辰役東軍殉難者慰霊祭で天然理心流 勇武館道場が供養演武を行いました。
 当日は幸い好天に恵まれ、東軍ご子孫の方、新選組ご子孫の方等々多くの方々が参列されました。

 慰霊祭は、午後2時より新選組六番隊長 井上源三郎ご子孫 井上雅雄氏の祭文奉読から始まり、妙教寺 松井遠妙ご住職の厳かな読経、参列者全員によるお焼香に続き、、松井遠妙ご住職の特別講演 「古地図でたどる鳥羽伏見・淀の激戦」 を拝聞、淀みず草の会による紙芝居 「淀の歴史」 を拝見し、その後、本堂前庭の東軍殉難者慰霊石碑の前にて勇武館道場一門による剣術天然理心流の供養演武を行いました。

 妙教寺様は毎年春、独自に東軍殉難者慰霊祭を営んで下さっており、東軍諸藩にとりましては、ことのほか深いご縁をいただいております。新選組子孫の私共もこの様なご高配に心より御礼申し上げます。誠に有難うございます。

 慶応4年1月3日、徳川軍と西軍とが鳥羽・伏見で激突し戊辰の役がぼっ発しました。伏見奉行所に陣を構えていた会津藩・新選組も素早く参戦し、西軍相手に奮闘しましたが武器・弾薬の威力の差に、おもわぬ苦戦をしいられ、ここ淀まで退き体制の立て直し図りましたが、頼りにした淀藩の不可解な城門閉鎖により入城出来ず過酷な戦を余儀なくされました。

 1月5日、淀川堤の淀千両松に布陣し激しい攻防戦を展開するも、不利な戦況は挽回出来ず、大阪へ退く事になった会津藩、新選組を主力とした東軍。
 西軍の厳しい追撃から東軍諸隊を守るため、一番危険な殿り軍を務めたのは井上源三郎率いる新選組六番隊でした。
 西軍の銃弾が激しく撃ち込まれる中、日頃は口数の少ない源三郎が顔をまっ赤にして「退くな、退くな、守れ、守れ、押し返せ」と大声で六番隊士を叱咤激励、自ら先頭に立って白刃を振りかざし戦い続けましたが、西軍の銃弾を受け、手当する間もなく息絶えました。真に壮絶な戦死でした。井上源三郎の戦死は新選組にとって大きな痛手となり、これからの新選組の行く末を暗示するものでした。

 本日の東軍殉難者慰霊祭で井上源三郎ご子孫 井上雅雄氏が奉読した祭文を拝聴いたし、万感胸に迫る想いでした。
 近藤勇が最も信頼し、土方、沖田をはじめ新選組隊士の皆から頼りにされ、慕われ 兄貴分だった井上源三郎の存在は、まさに新選組の扇の要だったと言っても過言ではありませんでした。

 近藤周斎もことのほか天然理心流 免許皆伝 井上源三郎を気にかけ,折につけ「源さんの打ち下ろしはすげえーなぁー。まともに食らったら命はねーぞ」と感心していたとも、伝えられています。そして文久3年3月、勇達が浪士隊として上洛するにあたっては、特に井上源三郎に勇達の京都での活躍を託した程でした。
 今回の演武で、井上雅雄さんより受けた打ち下ろしの強さは、私の手の内をも痺れさせ、まるで井上源三郎の気が乗っているかと見間違うばかりでした。

 本日、新選組六番隊長 井上源三郎の行跡を辿り、謹んでご冥福を心からお祈りいたしまします。
 どうぞ、心安らかに。

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